世界一美しい鞄を創る。番外編:量産への道。後篇
コチラの記事は以下のリンクで内容をリニューアルして公開しています。
ぜひこちらからどうぞ!最終回です。
前回までの記事はこちら
世界初アルミフレーム削りだしのブリーフケースを量産するにあたり、
一番の課題であったアルミフレーム切削の予算も
関東精密の杉田社長の勇断で、アルミフレームだけではなく、他のすべての部品の削りだしも概ねクリアした。
残りの大物は革張りの外装とスウェード張りの内装だ。
展示会用のサンプルでは、革張りは孤高の革職人、大島さんにお願いし、
内装張りは孤高の老人、実母にお願いした。
大島さんには事前に「サンプルだけのお手伝い」と釘をさされ、
母には事前に「もう出来ない」と釘を刺された。
革工房に関しては、関東圏内で探しに探し回ってやっと大島さんのところにたどり着いた故、これからもう一度探すとしても、限度は見えている。
「あ〜?やらないよぉ」
「部品だけ納品とかはやらないね」
「あ〜?あんだって?(志村けんかっつうの)」
みたいな感じになる。
そもそも、革工房自体が少なくなってきており、たとえ空いていたとしても
ほんの数人の職人が手作業でこなすのが現状だ。
どうしよう・・・・・。
このままだとまずい。非常にまずい。
メイドイン・ジャパンを掲げるために海外製作はNG。
一応もう一度、孤高の革職人、大島さんを尋ねるも、
「ちょっと量産は無理っすねー」とやんわり断られる。
また八方塞がりだ。
帰りの車の中で落ち込んだ。
雨も降ってきた。
せっかくここまで来たのに、肝心な革の部品を裁断縫製してくれるところないとは。。。
視点が定まらないまま、視点は車内をさまよっていた。
ん?
ん??
車の内装って、革だらけじゃん。
もしかしたら、僕は探すところ自体を間違っていたのかもしれない。。
そうだよ、きっとそうだよ。
翌日から、グーグル先生に
「車 内装 革 加工 試作」
これを繰り返し、ヒットする会社に片っ端から連絡をしました。
ほとんどが、車の内装カスタムだけを仕事にしていたり、通常の内装縫製加工のルーティン業務しか受け付けていないところが多く、これにも数日間時間を費やしたが、1件だけ、話を聞いてくれるという会社が見つかった。
そこは、東京と埼玉の県境あたりに事業所をかまえ、全国に幾つかの工場をもっている、文字通り「有名高級国産車の内装縫製加工」を手がけている『N』という会社だ。
私「(中略)と言う訳で、このブリーフケースの内外装の加工をしていただける日本の工場を探しているんです。」
N「事情はわかりました。実は弊社も、これまで通りの車の内装加工以外に、新しい分野の業務を見つけたいと思っていた矢先なんです。」
私「そうなんですか?! ありがとうございます!」
N「ただ、いくつか、難しい部分はあります。まず、この表面の革のふくらみをどうやって表現するか。このサンプルはよく出来ていますが、量産時のプロセスでどうやってこれを安定させるか、何回か試作を繰り返さなくてはなりません。
次に、表面の革とアルミの本体をどうやって安定して取り付けるか。これだけの高額製品で、デザイン的なクオリティーの高いものは、ある意味『自然状況下で革が絶対に剥がれてはいけない』と思います。
私たちも車の内装で接着剤は使っていますが、XYZ軸のそれぞれ、もっとも剥がれづらい接着剤から配合して作っていかなければならないと思います。
あとは、ハンドルの強度です。
一番荷重のかかる部分ですので、ここはデザインに影響のない用に、この数倍強度を上げないといけないと思います。」
おっしゃるとおり。
ひとまず、展示会で使用した1stサンプルと革を貼っていないアルミのフレームを預けて、試作を待つことにしました。
それから待つこと2ヶ月。
その間に、ブリーフケースの箱を作る準備をしていました。
一般的に鞄を購入すると、そのブランド名が印刷された布の袋に入れられ、ショッパーと呼ばれる紙袋に入って購入者に渡されます。
しかし、ここまでの高額商品(・・・になってしまった)で、布袋はないでしょう。
ということで、箱を製作することにしました。
それも最上級の箱。
それは、インロー箱と呼ばれるシロモノ。
箱の上下の間に、段差のラインが入るこの箱。
高いんです。 普通の箱の4倍くらいします。
ただ、価格に見合うだけの『見た目勝負』は出来ます。
鞄のサイズを送り、内装の緩衝材のスポンジを選び、抜き型をつくり
箱を完成させます。
そして、箱の表面にはエンボスのシルク印刷を。
インロー箱も完成し、量産品を受け入れる準備が出来ました。
箱の準備が出来たところで、革の内外装をお願いしているN社から連絡があり、
早速翌日に伺いました。
N「いやぁ、お待たせしました。やっと革とアルミ、XYZ軸でかなり協力な接着剤を作ることが出来ました。」
そこには12種類の接着材で、それぞれ接着されたサンプルが並んでいました。
N「これで、滅多なことでは革はフレームから剥がれないと思います」
ありがとう。助かりました。
でもこの二ヶ月間でそれだけ?
とは言え、ここでN社の機嫌を損ねては、元も子もないので、
私「ありがとうございます。第一関門クリアですね!それで、次の行程、というか、
実際に鞄としての形になるのはあとどれくらいかかりますか?」
N「そうですね、あと二ヶ月くらいはかかると思います。」
私「いや、ダメダメ、ダメです。せめて後1ヶ月で仕上げていただけますか?無理は承知です。。お願いします!」
N「・・・・。」
私「こうしている間にも、費用が積み重なってきますし、なんとか少しでも早く仕上げて頂きたいんです。」
N「・・・わかりました。できるだけ早く仕上げるようにします。」
機嫌悪くならなかっただろうか・・・。
ただ、本当に一日何もなく終わると、それだけで数万円が溶けていく。
このプロジェクトを始めてすでに18ヶ月も過ぎようとしている。
展示会用のサンプル、展示会の出展費用、それらに関わる活動費用など多額の出費があった。
その間、当然売上と言うものはなく、次第に会社の資金も枯渇していった。
出来る限り、会社で要する経費も節約した。
例えば、革をアルミに接着する際に、それを数日間押さえる「治具」と呼ばれるものも、N社にお願いすると数十万かかるものも、自分で製作した。
ハンドルの芯になっているコルクも自分でミリ単位で切削し、その他、自分で出来ることは自分で行った。
もうこの時点では後戻りも出来ない。
そう言えば、この数年、服すら買ったことがない。
時間が少しでもあけば、タイミングをみて、アルバイトもした。
僕は最後の100円まで、この事業に投資するしかなかった。
とにかく、早く製品化しなければ。
そして、N社からの連絡を受けてはN社へ製品の確認へ行き、
数カ所の修正点をリクエストして、また数日後に確認をしに行く。
それを数回繰り返し、やはり、当初の予想通り、あれから2ヶ月が過ぎた。
そして
ようやく、20ヶ月前に描いていた理想のブリーフケースの姿がそこにあった。
そして、ようやく一般の方に見ていただくことができた。
記念すべき最初の取扱店は エストネーション本店。
続いて、阪急メンズ有楽町店、阪急メンズ梅田店、西武そごう池袋店、渋谷店、松坂屋栄店、男の書斎(名古屋)、近鉄百貨店(天王寺)その他。
モノづくりがこんなに大変で、時間と費用、そして頭を使うものだとは、少なくとも2年前まではわからなかった。
また、同時に多くのことも学ぶことができた。
ここまで、携わってくれた方に、心から感謝します。
彼らが一人でもいなければ、この鞄は作れませんでした。
次にすることは、新しい製品を作ること。
やっとゴールかと思いきや、またスタートラインだ。
全13回に及ぶ『世界一美しい鞄を創る。』ブログも、ここで一段落しました。
読んで頂いてありがとうございます。
次のカテゴリーは「バックパック」です。
BLAU Design Complex 橋本荘一朗